クローン病闘病記

クローン病26年振り返り闘病記を書いて行きます。

クローン病闘病記No5新たな仕事へ

アメリカ同時多発テロ事件にて会社の受注が止まり、自宅待機が続き、やも得ず退社

 

 


この頃は大学病院に通い、潰瘍性大腸炎からクローン病として、薬💊や治療方針 食事の改善によるエレンタールも追加され、病気への理解や、同室の同病患者交流も増え、病気管理や就労、生活環境の見直しを新たに考える様になっていた。

 


5年付き合っていた彼女とは、自分の不安や体力低下、精神面でも困惑して、別れてもらう事にした。

 


この当時は、何をやってもうまく行かず、頑張っても、病気や仕事など失い、人生どうでもよいと少し投げやりになっていた。

 


しばらくパチンコ生活に戻ってしまった🤦‍♂️

 

 

 


32歳の10月に大量にし出血🩸して救急車にて地元の大学病院へ出血止まらず、太ももの付け根からカテーテルを入れる回腸動脈塞栓術により止血


術後10時間ぐらい動けないので、とても辛かった。

 

 


栄養状態も悪く絶食にてエレンターンで2400カロリーをとる事に、1日エレンターンを8本も飲めず、夜間栄養ポンプにて鼻から経管摂取方法も始めた。

 


当時は死んだ方がマシだと思う日もあった😥

 


がしかしだ‼️

 

 


将来の不安や自分の生命力を信じて‼️

 


生活改善を決意する❗️

 

 

 


パチンコを止める!

 

 


依存していたので、半端なく辛い😭

 

 

 

何か趣味を見つけようと、当時流行っていたクリスチャンラッセンの絵を見に行くようになる。

 

 


海や海豚🐬鯨🐳といった素晴らしく素敵な絵🖼だ。それから油絵に興味を持ち、無理やり美術館に行った!

 

 


パチンコをしないために、上野や都内地方の美術館へ行き、時間を潰した。

 

 


見ているうちに、自分でも描けるのでは、道具を揃えて、初めてみた、やはり難しい、月に2回だが油絵教室に通い始め、パチンコを忘れる為に没頭した。

 

 

 


好きな絵を選び模写をする。好きな絵なので集中出来るし楽しい。油絵具の基本が分かれば、後は自由だ。芸術に正解は無い。

 

 

 


2年間没頭して描きまくった❣️

 

 


かなりの量で有る。機会が有れば、ブログに載せてみます。

 


36歳でパチンコを忘れる事が出来て

 


本格的に仕事を探した。しかしまだ自信が無く、派遣社員から社員へと考え、派遣社員で基盤製造会社に入社した。

 

 

 


この会社は大きな会社で、24時間稼働で交代勤務が有る会社だ。

 

 


なかなか条件の合う会社が無く、交代勤務は初めての経験になるが、時給単価が良い。

 

 


貯金の無い自分には丁度いい😁

 

 


この会社の検査課に配属された。

 


製造業で検査課は体力的には楽なので仕事を始めた。

 

 


そして フルタイム交代勤務での仕事が始まった

 

 


当然病気は伏せている。

 

 

 


つづく